ガケノフチ・ノート

20代男性の益体なしブログ

ひぐらしのなく頃に卒 が面白くなさ過ぎて辛い

長きにわたり愛されているアニメ【ひぐらしのなく頃に】の新作である【卒】がつまらな過ぎて辛いです。

 

前作の【業】はまだ100歩譲って観れましたが、今期放映している【卒】でもうギブアップなのです。

 

2000年代にやってた【ひぐらしのなく頃に】と【ひぐらしのなく頃に解】は個人的にかなりお気に入り作品だったので期待していました。【業】も【卒】も一応アマプラで毎週リアルタイムで追って視聴してたんですが、もうキツイです笑

 

 

 

私はもう齢25です。大人になったからアニメを楽しめなくなったのでしょうか?

いえ、それは断固としてあり得ません。

 

なぜならそれ以外の作品も随時チェックしてますし、グッズを集めたり時には聖地巡礼(コロナなので控えめですが)などしてニワカなりのアニメオタクライフを満喫しているからです。

そんなチーズ牛丼系男子の私が、アニメを楽しめなくなったなどと神妙に言ったところで笑われてしまいます。

 

 

なので、単純に【ひぐらしのなく頃に卒】がつまらないだけだと思います。

 

製作しているアニメーターさんにはかなり失礼に当たるかと思いますが、ひたすら面白くありません……。心苦しいくらい面白くないです。

巷でも結構話題に上がっています。つまらないと。

 

 

もう、気付いたら真顔で観てました笑

 

 

なんか、昔のアニメの方が面白い作品が多かった気がします。

昔と言っても、2006年ごろから2017年まで位の作品です。

 

 

 

 

いや……やはり私が老いたのでしょうか?老いにより、感受性が死んできているのでしょうか?

 

ひぐらしのなく頃に卒】はそんなことを考えさせてくれました。

 

 

 

歳を重ね食べ物の好みが変わる

最近になって食べ物の好みが変わってきたなと感じるようになりました。

学生の頃はラーメンとかハンバーガーとか牛丼とか揚げ物ばかり食べていて、甘いジュースとかも飲みまくっていました。全体的に子供っぽいものが好きでした。

 

 

20代半ばになった今、自覚出来るくらい食べものの趣向が変わってきて驚いています。

子供っぽい食べ物は今でも好きで普通に食べるんですけど、野菜とかキノコとか豆とか煮ものとかも好んで頻繁に食べるようになりました。

健康に気をつかっているとかそういうのではなく、自然とそうなっていきました。

 

 

これが【老い】というものなのか?

 

 

甘いジュースはほとんど飲まなくなりました。強いて言うなら夜更かししたいときにエナジードリンクを飲むくらいで、普段は水か炭酸水、茶、砂糖抜きのコーヒーくらいしか飲みません。あとはノンアルコールビール

 

お菓子もポテチみたいなスナック菓子はあまり食べなくなり、煎餅なんかを食べるようになりました。(この間ある店の煎餅を買うためだけに栃木まで行きました)

洋菓子はよく食べますが、同じくらい和菓子にも食指が伸びます。(昨日団子を買うためだけに埼玉の田舎町まで行きました)

 

 

 

やっぱり老いなんだろうか?

20代でこれほど分かりやすく食の趣味が変わってきたのだから、30代、40代と進んでいくと一体どうなるんだろう?怖いですね。

まあ多分前よりは健康的だと思うので、身体にはいいんでしょうけど。

 

 

50歳位になったら霞食べて生きている仙人みたいになってしまうのでしょうね…………

 

 

 

 

 

 

まさか自分が今日死ぬなんて

思ってもみなかったでしょう。

 

殆どの人が当たり前のように新しい朝が来ると、疑うことなく生きていますよね。

私もそうです。

明日もまた同じように変わり映えのない日が来るだろう、と思っています

 

 

 

これは私ではなく、会社の人の話です。

直接話したことはないのですが、同じ会社内の人が先日事故に巻き込まれて亡くなるという痛ましい出来事がありました。

 

その人はまさかその日に自分が事故に巻き込まれて命を落とすなんて予想していなかったでしょう。

当たり前ですよね。

病気に冒されているわけでもなく、健康体で普通に働き、普通に生活を送れている人で【今日死ぬかもしれない】と戦々恐々としながら毎日を生きている人は恐らくいないでしょう(世界は広いのでもしかしたら中にはそういう人もいるかもしれませんが)

 

 

 

死んでしまったら全てが強制終了、セーブ機能がないクソゲーであるところの人生は、命尽きれば今まで積み上げてきたものは無に還ります。

 

人生の中で何かを積み上げることそれ自体には意味がありますが、それは死ねばなくなってしまうということとは無関係に意味があるということだと思うので

積み上げる行為に意味があるのであって、積み上げてきたものそれ自体には、いつか死ぬと言う事を考慮すると究極的には意味は無いのかもしれません。

 

形あるものは言うまでもなくいつか崩れるし、形のないものもいずれ消えていきます。

 

 

 

 

人の死を身近に感じる出来事があると、思わず人生の意味なんかを考えてしまいます。

けど、考えても意味ないんですよねきっと。人生の意味ってなんだろう、っていう謎に対する明確なひとつの答えがあってなおかつ頭を捻る程度のことで導き出せるならば、もっと普遍的にみんなが人生の意味を分かっていてもいい。1+1の答えくらい、共通認識になっていてもいいと思うのです。

だいたいの人が【人生ってなんだろう】みたいなことを一度は考えたことがあるかと思いますが、結局答えが分からないままだと思うんです。

なので、そういうテーマに対して深く考えつめることって、あんまり意味ないと思うんですよね。

 

 

 

 

 

 

話が結構それましたが

人間っていつどこで死ぬかわからないな、本当に

 

 

 

って思いました。

 

 

 

いつ死ぬのか分からないのであれば、来るかもわからない遠い将来のことを案じて今の自分をないがしろにするような生き方は好ましくないのかな、とも思います。

 

私はどちらかというと今現在が大事、というタイプであんまり将来のことを考えずに生きています。刹那的と言えばなんとなくカッコイイですが、単に計画性がないだけです。もう単純に要領が悪いので、長期的な計画を立てられないのです。

 

目の前のことにしか向き合わず、色々なことをつまみ食いして体系的に物事を習得してこなかったせいで、ダメ人間になってしまったんですよね笑

 

【今現在が大事主義】の私でもたまに形容しがたい未来に対する不安を覚えることもありますが、基本的に頭が悪いので、昼寝などすると思考の遠いところへ追いやられます。

 

 

 

人の死を身近に感じて、なんとなくですが、ダメ人間でも生きているだけでオールオーケーな気がしてきました。

欲をいえば、なんでもいいので働いたり人と関わったりしたほうがいいですが、無理ならしなくてもいいと思います。とりあえず生きてることが控えめにいっても一番大事だと感じ始めました。

 

 

 

 

【明日があることが当たり前じゃないかもしれない】みたいな趣旨の、こういったことを書いていますが、しかし明日もまたおんなじような日が来るんだろうなと舌の根も乾かないうちに私は思っています。

しかしそれにネガティブな意味合いはなく、変わり映えのない日が来ることにある種のありがたみを感じつつある今日この頃、って感じですね。