まさか自分が今日死ぬなんて
思ってもみなかったでしょう。
殆どの人が当たり前のように新しい朝が来ると、疑うことなく生きていますよね。
私もそうです。
明日もまた同じように変わり映えのない日が来るだろう、と思っています
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これは私ではなく、会社の人の話です。
直接話したことはないのですが、同じ会社内の人が先日事故に巻き込まれて亡くなるという痛ましい出来事がありました。
その人はまさかその日に自分が事故に巻き込まれて命を落とすなんて予想していなかったでしょう。
当たり前ですよね。
病気に冒されているわけでもなく、健康体で普通に働き、普通に生活を送れている人で【今日死ぬかもしれない】と戦々恐々としながら毎日を生きている人は恐らくいないでしょう(世界は広いのでもしかしたら中にはそういう人もいるかもしれませんが)
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死んでしまったら全てが強制終了、セーブ機能がないクソゲーであるところの人生は、命尽きれば今まで積み上げてきたものは無に還ります。
人生の中で何かを積み上げることそれ自体には意味がありますが、それは死ねばなくなってしまうということとは無関係に意味があるということだと思うので
積み上げる行為に意味があるのであって、積み上げてきたものそれ自体には、いつか死ぬと言う事を考慮すると究極的には意味は無いのかもしれません。
形あるものは言うまでもなくいつか崩れるし、形のないものもいずれ消えていきます。
人の死を身近に感じる出来事があると、思わず人生の意味なんかを考えてしまいます。
けど、考えても意味ないんですよねきっと。人生の意味ってなんだろう、っていう謎に対する明確なひとつの答えがあってなおかつ頭を捻る程度のことで導き出せるならば、もっと普遍的にみんなが人生の意味を分かっていてもいい。1+1の答えくらい、共通認識になっていてもいいと思うのです。
だいたいの人が【人生ってなんだろう】みたいなことを一度は考えたことがあるかと思いますが、結局答えが分からないままだと思うんです。
なので、そういうテーマに対して深く考えつめることって、あんまり意味ないと思うんですよね。
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話が結構それましたが
人間っていつどこで死ぬかわからないな、本当に
って思いました。
いつ死ぬのか分からないのであれば、来るかもわからない遠い将来のことを案じて今の自分をないがしろにするような生き方は好ましくないのかな、とも思います。
私はどちらかというと今現在が大事、というタイプであんまり将来のことを考えずに生きています。刹那的と言えばなんとなくカッコイイですが、単に計画性がないだけです。もう単純に要領が悪いので、長期的な計画を立てられないのです。
目の前のことにしか向き合わず、色々なことをつまみ食いして体系的に物事を習得してこなかったせいで、ダメ人間になってしまったんですよね笑
【今現在が大事主義】の私でもたまに形容しがたい未来に対する不安を覚えることもありますが、基本的に頭が悪いので、昼寝などすると思考の遠いところへ追いやられます。
人の死を身近に感じて、なんとなくですが、ダメ人間でも生きているだけでオールオーケーな気がしてきました。
欲をいえば、なんでもいいので働いたり人と関わったりしたほうがいいですが、無理ならしなくてもいいと思います。とりあえず生きてることが控えめにいっても一番大事だと感じ始めました。
【明日があることが当たり前じゃないかもしれない】みたいな趣旨の、こういったことを書いていますが、しかし明日もまたおんなじような日が来るんだろうなと舌の根も乾かないうちに私は思っています。
しかしそれにネガティブな意味合いはなく、変わり映えのない日が来ることにある種のありがたみを感じつつある今日この頃、って感じですね。