新卒で入った職場を短期間で退職してフリーターをしていたころ、真っ当な人生のレールからドロップアウトした人たちの流刑地のような職場で短期間アルバイトをさせて貰っていたことがある。
職種は伏せさせて貰うが、本当に色々な人間がいるメルティングポット的職場だった。絵具を全色投入した水溶液のように、カオスな色合いの場所だった。
その中で、いつも僕に声をかけてくる中年の男の人が居た。外見は完全にヤクザのそれだったが、面倒見がよく豪放磊落な性格だったので僕もそこそこ懐いていた。
彼はしばしば僕に【なんでそんなに若いのにこんな仕事してるん】と問いかけた。
そして僕は毎回【色々あるんですよ】と言葉を濁す。
いたちごっこの様な埒の明かない不毛な会話だったが、しかし不毛であればあるほど何も考えなくて済んだので心地が良かった。
彼は仕事について、僕にあれこれとアドバイスすることがあった。
【工場の作業員なんかは頭空っぽにして出来るからお勧めだぞ】
【お前、口がよく回るから営業なんかやったらどうだ】
【これからの時代はパソコンだよな、ITだよIT】
【やっぱ金が欲しけりゃ自分で会社を興すしかねえわな】
【見た目的にホストが似合うなお前は】
【バイク屋なんかどう?お前バイク好きじゃん】
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彼の話を、僕はいつもへらへらと上の空で聞き流していた。
そして締めくくりに、彼はだいたいこう言うのだ。
【若いんだから、腐るほど選択肢があるだろう。がんばりな】
それを聞いて、はたしてそれは本当だろうかといつも思考を巡らせていた。
当時の(とはいっても結構最近だけど)僕は、とりあえず収入を絶たないようにと目の前にある仕事をこなすだけで精一杯だったので、自分に多くの選択肢があるなんてまったく考えもしていなかった。
だから、彼に『沢山の選択肢があるだろ』なんて言われてもいまいちピンと来なかったし、視野を広げようと改めもしなかった。
しかし今にして思えば――当時あの仕事を選んだのだって、言ってしまえば数ある選択肢の中から一つを選択するという行為だったのだ。見えていなかっただけで、その時も無数の選択肢が確かに用意されていたのだ。
うまくはいえないが、色々な選択肢があるということには、往々にして何かを選択し終えた後に初めて気がつくものなのかもしれない。
人生には限りない選択肢があるけれど、それは後ろを振り向いたときにしか見えない幻影にすぎないのだと、確か前に読んだなにかの小説にそんな風なことが書いてあった気がする。
彼は歳を重ねてから初めて、20そこそこの頃の自分には無数の選択肢があったのだということに気がついたから、若い僕に忠告してくれたのかもしれないと今は思っている。
その職場を辞める際、彼は、
【こんなところにいたらお前、腐っちまうよ。がんばりな】
と、そう言ってくれた。
彼の筋骨隆々の肉体と、絶対に外さない色眼鏡を思い出す。
僕の健闘を祈ってくれたのと同じように、僕もまた、彼に幸あれかしと願うばかりだ。